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TVのハードディスクを整理していて、まだ見ていないプロジェクトXをみつけました。
「妻に贈るダイニングキッチン」~勝負は一坪・住宅革命の秘密~という住宅公団の初代住宅計画部課長・尚明(しょう・あきら)氏と奥さまのお話です。
戦後の焼け野原を見て、自身も焼け出された尚夫妻は『これからの日本に必要なのは住宅だ』と思います。
時の鳩山内閣のもと、30万戸の住宅を供給すべく、日本住宅公団が設立されました。
建設省(今は国土交通省ですね)に勤めていた尚氏は志願して、住宅公団に入ります。
国民への住宅供給に熱い思いを寄せたメンバーに政府は『一戸あたり13坪¥70万』という課題を与えます。
それでは不評だった都営住宅と1坪しか違わない。せめてもう1坪を、とメンバーががんばった結果勝ち取った1坪を『奥さんにあげたい』と思った尚氏。
共鳴したメンバーは米国事情を調査し、ダイニングルームなるものを知ります。
ダイニングとキッチン、両方は作れない。ならば、と『ダイニングキッチン』という和製英語が、このとき生まれました。
課題は他にもあります。日本女性初の一級建築士が、それまでのシンク(流し台)だった『じんとぎ』を、不衛生で割れやすく扱いにくいとし、ステンレスを使うことを思いつき、また当時一般的だった『シンク→作業台→ガス台』という並びをシンクをはさんで両側に作業台とガス台を配置する今の形を提案します。
しかし、大学助教授(これまた女性)から『今までの配置がいいに決まってる』と言われ、一級建築士は助教授に決闘を申し込みます。
同じメニューを2つの台所で作り、所要時間と歩数を比べるというもので、調理時間は互角だったものの、歩数は従前の配置で23.5歩。新しい配置では2歩。ほとんどが重心移動だけで済む新しい配置が勝利をおさめます。
負けた助教授は即座に『これは、これからの台所。全面的に協力します』と潔く、計画はとんとん拍子に進んだかに見えました。
ところがステンレスの流し台というのはこのとき作ったのが始めてで、メーカーにノウハウがない。
プレスにかけると敗れてしまう。サンウェーブの職人さんが、会社の向かいにアパートを借り、あるときはプレスの隣にムシロを敷いて、24時間体制で難関に挑みます。
最後には『事務の女の子』が買ってきてくれた とげ抜き地蔵さんのお守りを四隅に置いて神頼み。
これが、功を奏したか、初めてステンレスのプレスが成功したんですねぇ。
かくして量産体制に入ることができ、あとはダイニングキッチンの位置。
それまで台所といえば北側と決まっていました。
尚氏が夜中に目を覚まし、灯りの方を見ると、寒さに足踏みしながら洗い物をする妻の姿が見えました。
『台所は南だ!』こうして明るいダイニングキッチンに家族が集まる間取りが生まれ、都心は空前の団地ブームを迎えます。
『今日はお姉さん夫婦の住む団地に遊びに来ました』って白黒の宣伝番組。よく見ましたよ、って、あれ?いや、再放送ですよ、たぶん。
尚氏は公団の副総裁になりますが、定年の日まで10坪の家に住んでいたそうです。
『国民に14坪の家しか供給できなかった私に、国民より広い家に住む資格はない』
定年を迎え、長男夫婦と同居するにあたり、ようやくまともな広さの家に移り住みます。
その新居のお庭の水道には『じんとぎ』が。
『まだ使えますから』と奥さま。
あー、土光さんご夫妻をテレビで見たときと同じだー。
慎ましくて献身的でステキなご夫婦です。
尚ご夫妻だけでなく、常識を覆した一級建築士や、プライドより国民の生活を大事と決断した助教授。
皆さん、自分の役目を心得ているというか、その、カッコイイ!
そんな精鋭たちのプロジェクトを生んだ住宅供給公社。
こっそり貢がれてるの気付かなかったり、住宅作りすぎで暴落させたり、悪い話ばかりだけど、きっと第二第三の尚氏が育って、、、いてほしい。
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